気づいてましたか?
地獄少女の隠された本当の魅力!
注、ネタバレ多数
みなさんは地獄少女といえば、依頼人が復讐をはたす物語だと思ってたのではないでしょうか?
依頼人が復讐をはたすというアニメじゃないの?
これを知らないとアニメを見た意味が、無いといえるでしょう!
しかし、この、作品には壮大なテーマがあります。それは閻魔あいというキャラクターの魂の成長の物語。
第一シリーズからその、軌跡を見ていきましょう
復讐を思いとどまった閻魔あい
第一作では過去の壮絶な体験による憎しみに、支配された回想シーンが印象的でしたね。
柴田親子をしつこくに狙う姿は、地獄の復讐の炎に燃える正に地獄少女そのものの姿でした。
しかしラストシーンでは柴田親子に対する復讐を思いとどまった姿が印象的でしたね。ホッとしました
あいちゃんが柴田さんを、許してくれてうれしかったわ。
三藁の人たちも、うれしそうだったわね。
つぐみの父を思うひたむきな心に、心をうたれたのでしょうね。
輪入道も満面の笑みでしたね。孫の成長を見守るおじいさんの気持ちだったのかもしれません
ここで大事なのは自らの意志で復讐を思いとどまったということです。
400年にわたる復讐の炎を消すことができたということは、人間的な成長。すなわち魂の成長といえるでしょう。
魂の成長はまわりの人も笑顔にするんですね。
身を捨てても相手を助けたい!
第2作の二籠、ラストでは、拓真を地獄少女の定めに逆らってまで、地獄行きから助けだします。
何の罪もない人々が地獄に流されるのを、ただ見ているしかない!
復讐心を捨て去ったあいにとっては、これこそが地獄だったのかもしれません。
普通の人が地獄少女をやれば、精神がおかしくなるのかもしれませんね。
文字どおりにあいは、身を捨ててまで人を助けたわけです。
これは普通の人では、まずできないことですよね。
地獄少女を永遠に続けようとも!
第三作(三鼎)では自分が地獄少女の運命から解放される道を捨ててまでも、ゆずきを地獄行きから助けだします。
親友を地獄に流されたゆずきは、かってのあいのように復讐の炎に焼かれてしまいます。
ひたむきに、ゆずきを救おうとする姿は、第一作では考えられないことでした。
ゆずきの姿にかっての自分を重ねてしまったのでしょう!
その姿は村人たちを、復讐の業火に焼き尽くしたかっての姿ではありません
もう完全にあいの心、魂は地獄から解き放されたと言えるでしょう。
魂の成長の物語!
第1シリーズから第3作の三鼎まで、閻魔あいは憎しみの業火に焼かれた姿から、まさに天使の姿へと変わる壮大な魂の成長の物語として見ることもできます。
「この世は魂の修業の場である。」
閻魔あいの生き様を通して、これを実感させてくれるのが地獄少女という作品の、本当の意味であり価値であると思います。
まとめ
ところでみなさんはマズローの欲求段階というものを知ってますか? 第1段階から第6段階まであり、
どの商品がどの欲求を満たすのか?を調べるのもセールスの仕事になります。
第5段階は自己実現、
特に第6段階は自己超越という、ほとんどの人が、成し得ない目標だそうです。
閻魔あいは、自己超越を果たした存在なのかもしれませんね。
それではまた
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