※アニメ地獄少女サイトより引用
地獄少女の終わりのない
新たな苦しみの宿命とは?
閻魔あいは、つぐみのお父さんに対するひたむきな愛に打たれて400年にわたる怨みの感情を捨てることができました。
しかし
怨みの感情を捨てたからこその新たな苦しみを、地獄少女の宿命の中に見いだします。
その新たな苦しみとは?
罪の重みを知ったが故の苦しみ
第3シリーズの三鼎(みつがなえ)で登場する御景ゆずきは、悲惨な運命の中で、小さな頃から友達もなくひとりぼっちで、亡くなります。
その中でたった一人ゆずきに、やさしくしてくれた秋恵。この世の中で両親以外に、たったひとりの、かけがえのない友だち。
彼女は、ゆずきが築いた虚構の世界の中でゆずきの親友として登場します。
その秋恵は、理不尽な怨みの末に永遠の苦しみの地獄に流されます。
お父さんは犯人に復讐すべく、犯人の所に行きますが、犯人とともに過ごす幸せそうな両親の姿を見てしまいます。
犯人とともに過ごす幸せな姿、
秋恵のお父さんは、何を思ったのでしょうか?
犯人には貧しい両親がいました。犯人を流せば何の罪もない犯人の両親が不幸になってしまう。秋恵のお父さんは犯人を許すことで、怨みの連鎖を断ち切ったわけです。
犯人の両親は秋恵のお父さんにとっては、何の縁もない他人です。
そんな人に対する愛、慈しみの心、仏教では慈悲の心といいます。
それこそがあらゆる因縁 怨みの連鎖を断ち切る方法なのだと仏教では説かれます。
私自身が罪のない人を流した!
私はゆずきの親友を流した犯人と
同じことをしたのね。
閻魔あいは、自分を生き埋めにした村人たちを焼き尽くした際に、なんの罪もない人も巻き添えにしたはずです。
何の罪もない村人を巻き添えにした閻魔あい
何の罪もない、ゆずきの親友を流した犯人
執念深く、何かにとりつかれたように犯人を地獄に流すように、お父さんに秋恵のお父さんに迫るゆずきに、かっての自分。柴田親子を執拗に追いかける自分を重ねてしまったのだと思います。
閻魔あいはゆずき親友の秋恵の運命を見て、改めて自分の罪の重さを思い知らされたはずです。
新たな苦しみ
地獄少女の宿命の中で何の罪もない人々が延々と流されていく。これを400年もの間見せ続けられてきたわけです。
あいは自分が行った罪深い行為を、エンドレスのビデオにして見せられている気した気がはずです。
想像を絶する地獄といえるでしょう。精神が崩壊し発狂してもおかしくありません。
これこそが怨みの感情を捨てたあいにとっては、この上ない地獄と言えるでしょう。
耐えられなくなったあいは、文字通り命がけでなんの罪もない、悲惨な運命の拓真やあいと同じく怨みの念に囚われたゆずきを、地獄少女の定めに逆らってまでも助けます。
それこそが果てしなく険しい崇高な魂への、険しい道なのでしょう。
崇高な魂への険しい道
『この世へ何をしにきたのか』と問われたら、私は、『生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ』と答えます。
※京セラ創業者稲盛和夫氏の言葉
この世に生きる私たちは、崇高な魂に生まれ変わるための、永い旅路の途中だとの事です。
生きるのが苦しいのは、仏教ではこの世が魂の修業の場であるということです。
自分のまわりの人を大切にする。
これこそが崇高な魂への最短の道だと思います。
それではまた!
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