タイクツだった? 校長先生のオハナシ
学生時代の校長先生のお話は、なぜかタイクツだったね。
そうね悪いけど本当に眠くなってきちゃうのよね。
一生懸命に話してくれてるのにどうしてかしら?
みなさんは学生時代 朝礼などの校長先生のお話。
まじめに聞こうと思ってはいるものの・・・。
どうにもたまらなく、タイクツしてくる経験があったのではないでしょうか?
その理由を例によって、コピーライティング的に分析してみたいと思います。
要点がわかりにくい? 校長先生のお話。
まず、校長先生のお話は、カンタンに言うと、
努力してリッパな人間になりましょう。
ということを表現を変えて話しておられるわけですね。つまり校長先生のおっしゃりたいことの結論は、前もって解ってしまっているということです。
言われなくも解っていることを何度も聞かされるのは、かなりの苦痛ですよね。
そういう意味では、若い時に聞く親の小言と同じですね。一言ですむことを表現を変えて、くどくどと話してしまう。
対して、コピーライティングは「複雑なモノをどうやって単純にわかりやすく変換するか?」というのがテーマの一つです。
ですから校長先生は人にわかりやすく伝えるということの、逆をやってしまっているわけですね。
ということで
皮肉なことに一生懸命に話せば話すほど、聞き手の心は離れていく・・・ということになります。
結局は話が長い。ということになります。
常識的な話は、記憶に残らない。
みなさんは、小学生時代から何十回と聞いた校長先生のお話で一つでも覚えているモノはあるでしょうか?
特に覚えている話は無いなあ、
何回も聞いてるのにどうしてだろう?
校長先生に限らず、学校の先生のお話で、覚えているモノはほぼないのではないでしょうか? それは常識の範囲内でしか話題がないからなんです。
対して
では逆に記憶に残る話とは、どんなものなのでしょうか? 常識からハズれればハズレる程ほど強く記憶に残るのではないでしょうか?
たとえば
本名は自分のモノだから、どんなことにでも使えるというのが常識ですね。
しかし朝のNHKのドラマなどでおなじみの、のんさん(本名 能年玲奈)は、事務所からの独立の際の事情で、タレント活動に本名が使えないという報道がありました。
本名なのに自由に使えない! これは強烈なイメージとして記憶に残っています。
「タレント活動においては、たとえ本名といえども契約上、本人自身に使用権利は無い」。これは世間の常識では考えにくいお話ですね。
人は理解の及ばない話に興味ひかれ、その理由を知りたいと思います。
ですから人の注目を集める必要がある広告などでは、意外性が重要になってくるわけです。
まとめ
人が集中して話を聞くことができるのは、せいぜい2~3分だといいます。 ですから3分を持ち時間としてスピーチするのがいいのではないでしょうか?
その方が生徒の皆さんも喜びますし、先生も要点をしぼって話をすることができますし、
話をながくするためにスピーチ内容を考える必要も無くなります。
誰に対してもメリットがありますよね。
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